2015年10月17日(土曜日)
【福島県】 いわき市
いわきといえば常磐ハワイアンセンター。
映画フラガールで有名になったレジャー施設で、昔からいわきの観光を支えている。
山側に行くと白水阿弥陀堂。
国宝に指定されている美しいお堂があり、四季折々の表情を見せる庭園と合わせてこれまた昔から人々に親しまれている。
さらに海沿いに行くと、塩屋埼という海に突き出した岬がある。
言わずと知れた美空ひばりの名曲、みだれ髪の舞台だ。
何もなさそうな福島県の小さな都市であるいわきだけど、実はかなり充実した観光資源を持つ町。
俺が毎日入りに行ってる湯本温泉も最高に気持ちいいお湯だし。
しかし忘れてはいけない。
いわきといえばかつて炭鉱の町として栄えた場所。
廃墟フェチからしたら鉱山系の町は宝の山だ。
そこらへんにかつての廃墟や昔ながらの面影の建物が残っている。
うわああああ!!!たまらない!!
山の中に取り残された昭和の経済成長を支えた鉱山町の風化した様子とかあまりにノスタルジックで神秘的でドキがムネムネしてオッパイ触りたい!!
あー、オッパイ触りたい。
というわけで今日はかつて栄えた常磐炭鉱の歴史を探りに行こう。
常磐炭鉱とは茨城県の北部から福島県のいわきにまたがった巨大炭田の採掘の歴史だ。
明治維新から第二次世界大戦の前あたりにかけて栄華を極めたらしく、たくさんの坑夫がこのあたりで暮らしていた。
大戦後は欧米のエネルギー改革によりコストが増大し、採算が取れなくなって次第に閉山。
1970年代に全てのヤマが役目を終えた。
まぁどこの炭鉱でも同じような流れだ。
昭和の中後期には石炭は時代遅れのエネルギーだったんだよな。
鉱山があれば仕事がある。
いつ落盤したり爆発したりして死ぬかわからない命がけの仕事だ。
なので賃金も相当いい。
首都圏のサラリーマンたちをゆうに凌ぐ給料がもらえるので、炭鉱町にはたくさんの荒くれ者たちが仕事を求めて全国から流れてくる。
そんな人々が暮らしていたのが世に言う炭鉱長屋。
昔の写真でよく見る、ひとつの横長い平屋に3~4世帯が住むことができる民家だ。
だいたいこれは採掘会社の持ち物であり、坑夫たちは無料で住むことができたそう。
トイレとお風呂はついてないので、外にある共同トイレを使い、お風呂は地区ごとに銭湯があったようだ。
白黒テレビ、ちゃぶ台、洗濯物、まさに昭和の風景がそこにある。
炭鉱長屋、という言葉には昭和の全てを詰め込んだような響きがある。
映画、幸せの黄色いハンカチも炭鉱の映画だ。
青春の門という小説、のたり松太郎という漫画、当時のことをリアルに描いた作品は数多く存在する。
経験はしていないが、そのどれもにノスタルジーを感じてしまうのは俺が九州の人間だからってのもあるのかな。
いわきにおいて常磐炭鉱の面影が残るエリアはいくつかあるみたいだけど、今回行ってみたのは内郷地区。
どうということはない、普通の田舎の町だ。
道路沿いには吉野家とかモスバーガーとかの現代的なお店も見られる。
しかし少し奥に入っていくにつれ、どことなく時代が遡っていくの感じる。
昔、俺がまだ小さな子供の頃に、お父さんの会社の社宅で暮らしていたような、あの懐かしい光景。
何もない小高い山の上にある古めかしい団地。
空き地は草で覆われており、集会所と書かれた建物は何年も人が出入りしている気配がなかった。
しかし数戸は人が住んでいる。
この曇り空も、もちろん晴れ渡る日もある。
洗濯物が風に揺れて、子供たちもかけ回るだろう。
たまらなく胸が締めつけられる。
過ぎ去った時の流れが、あの頃をフラッシュバックさせる。
それから住宅地に降りて、これまた古い民家がひしめく道の細い地区に入った。
このあたりは車は無理だ。近くに路駐をして歩いていく。
静寂の生活路地。
窓の向こうからテレビの音が小さく聞こえる。
子供のころ、住んでいた社宅の周りには町工場がたくさんあった。
スクラップ工場が多かった気がする。
空きカンの山がすごい圧力で潰されて正方形の塊になっているものがそこらじゅうにあった。
破れたフェンスをくぐったり、工場の裏の配管を飛び越えたり、冒険心をくすぐる遊び場には事欠かなかった。
電線が空に絡まり、夕日が驚くほど赤く、いつも急いで家に走って帰っていた気がする。
あの頃の懐かしい音が、どこからか聞こえてくる。
その時、細い生活路地の向こうに何かが見えた。
ん…………なんだあれ…………?
民家の軒先に何かボロ切れのようなものがかかっている。
ていうか民家というか、これもかなりボロボロの、今にも崩れそうな建物だ。
まさか………と思って近づいていくと、信じられないことにそのまさかだった。
食堂だった。
嘘だろおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
こ、これが食堂!!??
現役の!!!???
衝撃にもほどがある!!!!!
インド!?ここインド!??
あまりの光景にボーゼンとしつつも、たまらなくなって恐る恐る近づいてみた。
傾いた建物、ズタズタのスダレ、割れたトタン、
こ、これは!!
…………神の領域だ!!!
今までレトロなものやボロいものが好きで、たいがいの食堂には行ってきた。
しかしここは群を抜いている。
映画のセットとしかいいようがない。
ビビりながらも近づいてみた。
入り口らしきところにもはや故意でも再現できないくらいに破れまくった布切れが垂れ下がっている。
おそらく暖簾だ。
中を覗いてみると、ほっかむりをしたお婆さんがいた。
マジで婆ちゃん。
勇気を振り絞って中に入ってみた。
足を踏み入れた瞬間、昭和30年代くらいにタイムスリップ。
土間の地面、陥没した畳、ちゃぶ台、ズタボロの椅子。
客席は4席くらいしかない。
めちゃくちゃ狭い。
奥に厨房があるが、まきで火を起こしている。
は、半端じゃねぇ………
半端じゃねぇよこれ!!!!
するとお婆さんが俺に何か言った。そして壁を指差した。
指の先を見てみると、壁に何かが貼ってある。
写真撮影禁止、と書いてあった。
な、なるほど、これほどの神の領域だ。
おそらく怖いもの見たさにやってくるやつらが写真をバシャバシャ撮りまくっていたんだろう。
というわけで店内の写真はなし。
と、とにかく何か食べよう。
えーっと、壁に貼られたボロボロのメニューの札を見るとラーメンとかカレーとかカツ丼とかの、これぞ食堂というラインナップが並んでいる。
えーっと、どれにしようか……………ほへぇえ!!!!!!
目をこすった!!!
こすって二度見した!!!
ラーメンが200円!!!!!!!!!!!
嘘だああああああああああああ!!!!!!!
今2015年!!原材料が高騰してどこのお店も軒並み値上げをしている昨今!!!
200円でどうやってラーメンを作るってんだよ!!!!!!
そ、そうだ………疲れてるんだ…………
ここのところずっと車中泊でゆうべも遅くまでお酒飲んでたし、疲れが溜まってるから変なものが見えてるんだ。
ふぅ………そうだよな。
イマドキ200円のラーメンがこの世に存在するわけがない。
まったく驚いちゃ、
カツ丼、350円。
きゃああああああああああああ!!!!!!!
お婆ちゃん!!テレビ見てる!?今iPhoneとかあるんだよ!?
世界地図で世界のストリートビューとか見られるんだよ!?テンガとかあるんだよ!?それはどうてもいいか。
ビビりまくっていると、ぬぅ、っとお爺さんが入ってきた。
ヘルメットをかぶったままウロウロしている。
店の外には戦後みたいなバイクが置いてある。
どうやら出前が多いみたいで、お爺さんはラーメンを岡持ちに入れてまたカッコよくバイクにまたがって走っていった。
マジで爺ちゃんも婆ちゃんも元気すぎる。
年齢も80歳は越えてると思う。
そして肝心のラーメンが出てきた。
ネギ、ナルト、そしてチャーシューが乗っかった超シンプルな醤油ラーメン。
食べてみる。
え、美味いじゃん。
確かに200円という値段もある。
でも800円でこれよりマズいラーメンはいくらでもある。
美味しくて一気に食べきった。
コショウをかけてスープを飲み干すと体がポカポカと温まった。
きっと炭鉱が現役のころから、ここで坑夫たちにご飯を食べさせてきたんだろう。
今までどれだけのドラマがこの食堂で繰り広げられてきたことか。
お婆ちゃんは無口で、というか俺のような物珍しさでやってきた客をあまり快く思っていないのか、相手にしてくれない。
できれば当時のエピソードなんかを聞きたかったんだけど、そんな雰囲気ではない。
でもいい。
ここはもうすでに伝説だ。
完全に昭和中期で時の止まったこの最強の食堂にみなさんも一度行ってみてください。
名前は野間食堂。
ただし店内の写真は禁止、そして冷やかしはやめしょう。
リスペクトの念を持って、黙ってラーメンすするべし!!