2015年10月11日(日曜日)
【宮城県】 石巻市 ~ 仙台市
起きると喉が少し枯れていた。
さすがに昨日はよく歌った。
と言っても1時半までなんだけど。
昔はスナックが開き始める20時くらいから、人が完全にはける2時すぎくらいまで歌っていた。
よくやってたなぁと思うけど、腕が未熟な分、時間でカバーするしかなかった。
さすがに喉も鍛えられていたよな。
今はだいたい21時から24時の3時間しか歌わない。
喉が枯れることも滅多にない。
無駄をなくして要領が良くなったというのはあるけど、たるんでる、という気がしないでもない。
もっとバカみたいに歌いまくればいい。
体調管理なんて考えるほど弱くない。
ガムシャラに頑張る、っていう愚直さは、なかなか期待に応えてくれるもの。
ダサいことでは決してない。
久しぶりの喉のかすれが、誇らしかった。
石巻のラーメンといえばここおおおお!!!!!
大王って書いてターワン!!
ずっと気になってたんだけど、やっと来ることができた!!
イヤッホウ!!
わくわくしながら店につくと、店員さんが入り口の札を準備中にひっくり返してるところだった。
ひいいいいいい!!!!!
「も、もう終わりですか?もう無理ですか?」
「あ、お一人様ですか?いいですよー。」
ターワン好き。
時間になった瞬間追い出すお店、見習え!!
味噌タンメン。
タンメンってよく言うけど、実際タンメンってなんなの?
なんか麺が太いラーメンみたいなやつってイメージ。
調べてみたら、野菜を炒めたダシをスープにした麺料理ということらしい。
味噌ラーメンみたいな感じだな。
ここターワンのタンメン、マジで麺より野菜のほうが多いくらい野菜が山盛り。
スープが結構濃いめなので、野菜のシャキシャキ感がとてもバランスがいい。
うん、なんで今日が初めてなんだろ。
もっと前から来てればよかった。
ターワン、美味しい!
それからいろいろと各地イベントのやり取り。
11月に四国の愛媛県でライブを組んでいただいたんだけど、そのチラシが送られてきた。
素敵なチラシだなぁ。
企画してくださったのはくーさん。
ブログのコメントにもよく応援メッセージを書いてくれていた本当によき理解者だ。
いつも気にかけてくださり、何度もライブを組んでいただいている。
くーさんと出会ったのはもうずっと前のこと。
あれは日本一周の旅の途中。
20歳から始まった日本一周も佳境に近づき、旅の最後の一大イベントである四国お遍路に向かったのは24歳の時だった。
あの頃からやることはそう変わっておらず、1万円だけを持って岡山からフェリーに乗り、ヒッチハイクで徳島県の1番札所である霊山寺にたどり着いた。
四国に行ったのは初めてのことで、お遍路という神秘の風習に心躍らせながら、とりあえず白装束と杖、そしてお供のお札なんかの色々なお遍路に必要なものを買い揃えたら所持金は600円くらいになった。
ギターを担ぎながらお経の本をにらみつけ、たどたどしく般若心経を唱え、お遍路の旅は始まった。
四国お遍路にはいろいろなやり方があり、自転車で回る人もいれば車で回る人もいる。
バスのツアーもあるし、休みを利用して3日間だけ歩いて地元に帰り、また次の休みで続きから再開し、何年もかけて達成する人もいる。
回り方は様々だけど、ここはもちろんオーソドックスなスタイルにこだわり、歩き、野宿、通し、この3つを胸に歩を進めた。
四国お遍路は言わずと知れた88ヶ所のお寺にお参りをして四国を一周するというもの。
空海が布教のために回った道程をなぞる修行の道だ。
これにより現世の業を落とし、安らかな死後を迎えることができる。
しかし信徒による信心の道であるはずのお遍路は実はなかなか不気味なもので、癩病などの病にかかり村を追われた者や、犯罪を犯して帰る場所のなくなったもの、他にも傷痍軍人やただのホームレスなどが死に場所を求めてやってくる場所でもあった。
四国のお年寄り世代の人たちが子供の頃はそうしたワケありの人たちが結構多かったようで、包帯でグルグル巻きのお遍路さんや、カタワをさらして寺の門前で物乞いをする人をよく見かけていたという。
子供からしたらそれはそれは怖い存在で、地元の人たちは彼らをヘンドという蔑称で呼び、言うことを聞かない子供たちに「ヘンドに出すよ!」と脅かしていたそうだ。
現代でもお遍路にはスネに傷のある者は少なくなく、他の遍路を騙して金を盗んだり、女性遍路にわいせつ行為を働く爺さんなんかもいる。
とまぁ、マイナスなところはこんなもんで、お遍路というものは本当にすごかった。
札所であるお寺は四国の様々なところに分布しており、県庁所在地のきらびやかな繁華街を通る道もあれば、人里離れた幽玄な山の中を歩き続けて3日間かけて次の札所までたどり着くという区間もある。
海沿いで暴風雨にさらされながら歩き、山の峠道で車がバンバン通るトンネルの端っこを怯えながら歩き、暗闇の山の中を月の明かりをたよりに歩いたりもした。
食料の確保を怠るというミスをおかしてしまい、山の中で空腹に倒れて結構ヤバい状況になったこともあった。
孤独な道ではあったけど、それが修行という意味ではとても意味のあるものだと思えたし、暗闇の中で獣のようにうずくまって眠るのは、不思議な開放感を得られるものだった。
出会いもたくさんあった。
四国にはお遍路さんに施しをするお接待という文化が今も色濃く残っている。
食事を与えてくれたり、善根宿という無料の宿泊施設を提供してくれたり、わずかばかりの御賽銭もくれたりする。
これはお遍路さんに善行をすることによって徳を積むという、四国の独特な思想にもとずいた行為だ。
足の裏の皮がベロリと剥けて、激痛で歩けなくなり、びっこをひいているところを現地の人に助けてもらい治療してもらったこともあった。
お金はひたすらに寺の門前や都市の繁華街で歌いながら稼ぎ、遍路の中でもたくさんの人と出会っていった。
そして遍路同士の仲間意識もあり、全国各地から来ている遍路さんたちと友達になれた。
今でも数人だけどあの時に出会った人と繋がっている。
そんなある日、三国目の愛媛に入った時のこと。
山の中の峠を越え、トンネルをくぐり、そろそろ宇和島の町が見えてくるころかなと歩いていると、道の脇にひとつのカフェを見つけた。
店先に看板が置いてあり、週末にライブをやっている、ということが書かれていた。
興味をそそられたが、その時は先を急いでいたこともあり、店に入らずに歩を進めた。
後半にさしかかったころには5分ほどもかかる般若心経とご真言も、本を見らずに唱えられるようになっており、体もすっかりお遍路仕様にグレードアップしており、どこか鮮やかな気持ちで一歩一歩を踏みしめて歩き続けた。
そして45日かけてお遍路を完了。
最初に買った杖はすっかりちびて、ずいぶん短くなっていた。
何か変わったか?といえば別になんも変わってない。
でもあのそれなりにハードだった日々はきっと心を強くしてくれたと思う。
自分を仏教徒として意識できるようにもなったと思う。
線香とロウソクの煙がゆらめく真夜中のお寺。
1人で唱える般若心経の響き。
とても神秘的な日々だった。
さて、それから数ヶ月してまた車で四国にやってきた時に、気になっていた宇和島のカフェに行ってみた。
タイミング良くライブをやっており、そのアコースティックライブを見ながらコーヒーを飲んでいたら、お客さんたちが話しかけてきてくれ、飛び入りでライブをすることになった。
数ヶ月前に店の前を通り過ぎたあの遍路が今こうして店の中で歌えているなんて本当面白いもんだと思った。
その日、客席にいたのがくーさんだった。
あれからずいぶん時間が経って、日本中でライブをして歌を磨いていく俺をくーさんはずっと見てきてくれた。
たまに愛媛にライブに行くとき、くーさんに少しでも成長を見せたいと意気込んだもんだ。
今回の愛媛は4年ぶり。
その4年の間に俺は世界一周をしてきた。
まさに今回こそ成長を見せないといけない時だ。
もちろん、くーさんだけでなく、愛媛にはたくさんの友達やお世話になってる人がいる。
あの時、ボロボロの格好で這いつくばりながら歩いた遍路道。
考えれば、あれからずっと俺なりの遍路道を歩いていたような感覚もする。
いい歌うたわないとな。
うどん楽しみ。