2015年7月5日(日曜日)
【東京都】 浅草 ~ 中野
なにも考えたくなくて、ブラブラと歩いた。
雨のアスファルト、古民家にからまったアサガオの花がとても綺麗だ。
居候させてもらっているカッピーの部屋は、今夜お店のスタッフが泊まりにくるので、僕は泊まることはできない。
なので、たまにはどこかゲストハウスにでも泊まってみるかとインターネットで調べてみた。
今めちゃ流行っているシェアハウスがわんさかでてくる。
数人の男女が共同生活をして家賃を分担するものなんだろうな。
だいたい月3万円から5万円といったところだ。
見てみると、海外経験のありそうな男女がタイパンツをはいてワイワイ飲んでる様子や、オーガニック最高!みたいな畑仕事をしてる様子の写真が写っている。
楽しそうっちゃ楽しそうだな。
林間学校みたいで。
こういう人たちがカンボジアに学校建設ボランティアに行ったりするんだろうな。
そんな中で、適当なゲストハウスを見つけた。
やってきたのは中央線の中野。
駅から少し離れたところに古い3階建てのビルがあった。
めっちゃ古いオフィスビルかな。
それがゲストハウスに改造されている。
といっても部屋に二段ベッドぶちこんで、共同シャワー室を作っただけといったもの。
東南アジアレベル。
ドミトリー2000円。
まぁこんなもんなのかな。
荷物を置かせてもらったら、今日はひたすら散歩することにした。
場所はどこでもいい。
ただあんまり行ったことのない東側を攻めてみることにした。
東京のディープゾーンを見に行ってみよう。
電車に乗って到着したのは、三ノ輪駅。
今日の東京ディープゾーン散歩は、三ノ輪からスタート。
三ノ輪スタートです、って言ったらシブいねぇとニヤッとされそうなチョイスだと思います。
さぁ、東京ディープゾーンの最初のひとつといえばここですね。
日本1の風俗街、吉原。
江戸初期から続く由緒ある大遊郭街だ。
といっても、来るのは初めて。
ディープゾーンが大好きなので、今まで日本中の風俗街を探検してきたけど、ようやく吉原に来られたな。
と言っても、正式にはこの三ノ輪近くの吉原は新吉原と呼び、日本橋にあった場所が元吉原っていうらしい。
吉原の遊郭というと格式高いイメージがあるけど、実際江戸時代の吉原では、遊女たちは教養を身につけており、3回通って馴染みになってやっと枕をともにできたんだって。
江戸時代が終わってからも風俗街は続き、戦後には赤線となり、近代で風営法が厳しくなったが、今も吉原は日本を代表する風俗街として君臨している。
とはいっても、イメージしていたような時代劇的な雰囲気はゼロ。
当たり前に現代的なビルが並ぶ風俗街となっている。
客引きさんもそんなに多くなく、昼間はひっそりしている。
値段は1時間で1万5千円から2万円てところ。
見ていると、立派な箱バンがブーンとやってきてお店の前に横づけし、男性が素早く店内に入って行き、終わったらまた箱バンに素早く乗り込み、去っていく。
お忍び的な要素が強そうだな。
そんなに風情は感じられない。
名取裕子の吉永炎上みたいなイメージはもちろんこれっぽっちもなかった。
さて、吉原を抜けて歩いて行くと、大通り沿いにひときわ古びた建物を発見。
伊勢屋本店。
有名な天ぷら屋さんだ。
建物自体重要文化財に指定されているものだが、立派な現役の店舗だ。
関東らしい、タレがたっぷりかかった甘辛い天丼を食べると、下町に来ている実感がわく。
腹ごしらえして歩いて行くと、なにやら道沿いに見慣れた人の姿を発見。
ん?あれ、誰だっけ。
どっかで見たことあるよな……?
たしかボクシングやってる人だったよな…………?
真っ白な灰になっちまったよ……………
そう、ここはあの矢吹ジョーのふるさとらしい。
いろは会商店街。
あんまりっていうか明日のジョーはほとんど見たことないけど、たしか下町のガラの悪い地域で育った悪ガキって設定だったよな。
それがここか。
それにしてもビビる。
これほど寂れた商店街、久しぶりに見たわ。
ジョーが育ったいろは会商店街はあからさまに異様な空気が漂っていた。
いたるところにおっさんたちがたむろしていて、路上で寝起きしているであろうホームレスたちが道端にマットレスを敷いて快適そうに寝転んでいる。
コンビニの前にたむろしているのも、不良高校生ではなくおっさんだ。
この空気、最近よく味わっている。
まとわりつくようなヤバい臭い。
大阪の西成や横浜の寿町と同じ臭い。
そう、すでに足を踏み入れている。
東京ディープゾーンふたつ目。山谷だ。
いろは会商店街を抜けたところには広大なドヤ街が広がっていた。
ドヤというのは日雇い労働者のための安宿のこと。
ドヤ、という言葉は、宿、を反対に読んだ日本スラングだ。
山谷のど真ん中にある礼拝堂には、山谷の人々に呼びかける横断幕や情報のチラシが隙間なく貼られている。
さらにはこの町の住民であったであろうお爺さんが亡くなったという貼り出しがしてあった。
きっと、長年この町で暮らしてきた方なんだろうな。
かつての学生運動のテーマ、岡林信康の歌を彷彿とさせる諦めにも似た希望の言葉が、山谷の町のわびしさを物語っている。
人々は高度経済成長の中で翻弄され、もがき、喜び、どこへともなく消えていく。
無理やり結びつけるみたいだけど、確かにこの町の寂しさは、ジョーみたいに燃え尽きた灰のようだった。
友よ 夜明け前の闇の中で
友よ 戦いの炎を燃やせ
夜明けは近い 夜明けは近い
注意書き、無視しすぎ。
今日の仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせ どうせ山谷のドヤ住まい
他にやることありゃしねぇ
山谷ブルース