2015年3月22日(日曜日)
【宮城県】 石巻市 ~ 雄勝町
暖かい日差しの中、石巻の町の中を走っていく。
ゆうべもう1泊させていただいた消防士さんのケイさんが運転する車は市内中心部のメインストリートに止まった。
ひょんな出会いから2日もお世話になり、まるで昔からの友達みたいに一緒に遊んだ男前のケイさん。
今度東北を回る時に遊びましょうと約束し、車を見送った。
また大切な友達が出来た。
こんなにたくさん友達作りまくって、俺って貪欲なんだろうか。
いや、友達になろうと思えばなれる人がこの世界にはもっともっとたくさんいるんだ。
だったら会いに行って仲良くなりたいよな。
ありがとうございましたケイさん!!

それから東京でお世話になってる社団法人「ハース」の代表、横畠さんから、石巻に行ったら是非寄ってみて、と言われていたお店を目指した。
ハースは東北支援を根底に、世界と東北を繋ごうというプロジェクトをしている団体で、横畠さんは何度もこの石巻を訪れている。
そんな横畠さんが是非寄ってと言っていたのは「滝川」っていう割烹屋さんやしいのだが…………
店の前に到着した。
なにこのゴミは玄関に入ることも許されないみたいな由緒正しい感じ。
ただの老舗高級料亭。
横畠さん、僕に死ねとおっしゃるわけですね。
ガムテープで仙台、とか書いたゾウキンみたいなギターケース持って入っていい場所じゃねぇ。
しばらくお店の前をウロウロする。
う、うーん、入りづらい………
入っていって、あ、僕東京の横畠さんにご紹介いただいた者なんですが………なんて言ってそっから何話せばいいんだろ。
「いやー、それにしても花山薫の「まだやるかい?」ってあのセリフまじ渋いですよね!!え?愚地克己派?いよっ!お目が高い!!」
よし、これで行こうと思い、とりあえずネットでホームページ調べて一番安いメニュー調べたら2500円ということでマッハ突きでiPhoneのホームボタンを押す。
で、でも行かねぇと……な………
こういうとこ全然余裕で行き慣れてますけど?クス、みたいな上品ぶった顔して中に入ると、案内に出てきてくれた仲居さんの視線がバッグにくっついてるトロールにいったのでUターンして帰ろうかと思いました。
ぜ、全然怪しいものじゃないですから!!(´Д` )
すっごい高級な雰囲気のカウンターに座り、メニューを見ると、リーズナブルなお昼メニューがあって助かった。
1500円のセットがあった。
注文してやってきたのは、このお店の名物、釜めし。

本気出したら30秒くらいで食べられる上品な量をゆっくりゆっくりと食べた。
美味しい。やっぱりいい物はいい。
高級な場所で食べると気分も優雅になる。
「あらー!あやさんから聞いてましたー!よく来てくださいましたー!」

滝川の若女将、ユッコさん。
めっちゃ快活な笑顔の素敵な方。
母親として被災地を元気づけようと様々な活動をしている中で横畠さんと繋がりを持つようになったそう。
元気な人とお会いすると元気もらえるなぁ。
ユッコさん、お忙しい中でお気遣いくださり本当にありがとうございました!!
贅沢なご飯を食べ終わり、それから石巻の町で待ち合わせしていた友達と久しぶりの再会。
やってきたのは石巻から三陸の海岸線を少し北上したところにある小さな漁港、雄勝町で役所勤めをしているヒデ君。
ヒデ君とは最初の日本一周中に路上で歌ってるところで出会ったんだけど、それからずっと仲良くさせてもらっている。
まさかあの時は、この沿岸部が大津波に襲われるなんて微塵も考えていなかったなぁ。

山を越えてしばらく走っていくと雄勝の町があった静かな入り江が見えてきた。
海が荒れた時、船が逃げ込みにくるくらいに穏やかな入り江だった雄勝。
ここは良質な石がとれることから硯の名産地として硯博物館なんていう日本でも珍しい博物館のあった場所なのだが、その建物も今はもうない。


ささやかながら湾の周りには浜仕事の民家がぎっしり密集していた光景はもうなく、前回来た時のあの破壊され尽くした瓦礫の山もきれいになくなっていた。
そして町の中心部にあった雄勝町役場の建物も、もう姿を消しており、そこにはプレハブの施設が並んでいた。


ヒデ君に会いに来た町役場、休憩時間に一緒に行った食堂、
割れた窓からカーテンがはためいていた病院、大型バスが屋根の上に乗っかった公民館、
みんな跡形もなかった。
「もうたくさんの人が離れたよ。沿岸地は危険区域だから法律で住めないからね。でもここに戻ってくる人もいるんだぁ。移住するのは老人にはきついからね。みんな一緒で移住するならいいけど、ばらばらで散らばって今更知らない人とは暮らせないよね。」
話では、この沿岸部の土地はこれから何年もかけて盛り上げられ、ビルの高さほどの道路が通されるんだそう。
そして防潮堤も築かれるらしい。
「おかしな話だよ。防潮堤を作るのに、中は危険区域だがら家は作ったらいげないんだよ。何を守るための防潮堤なんだろね。」
ヒデ君は役場の人間だから、かなりリアルな政治の話を聞かせてもらえる。
役人、被災者、地元民としてのすべての立場をもっているヒデ君の、人情と建前と公務員としての実情をふまえた考え方は、ニュースにならない実情をよく教えてくれる。
雄勝町は数年前に石巻と合併している。
石巻は沿岸部が破壊されはしたが、内陸部はまだまだ残っている。
それに比べて完璧に漁業で成り立っていた雄勝はその8割りの建物が津波にさらわれた。
しかし石巻市の一部として捉えられているので、お金がなかなか降りてこないそう。
瓦礫はなくなりはしたが、建物の基礎は残ったままだ。
基礎のコンクリートだって瓦礫なのに、もう撤去は完了したことになってしまっているらしい。
「そこをうまくやってくれる人がいないんだよなぁ。困ってるんです!って声をあげて上手ぐアピールする自治体はきっちりお金もらえてるんだどもなぁ。」
復興もアピール合戦だ。
それなのに東北の人たちは我慢をしたり強がりな人たちが多いから、なかなかずる賢く国とやり合う政治力がないという。
そこに関東、関西からの大手ゼネコンが入り込み、さらにはヤクザさんの入れ知恵も加わり、恩恵を受ける人とそうでない人の差が大きく出ている。
中には1億円ものお金が入った通帳を持ったお婆ちゃんなんかも珍しくないそう。




そんな雄勝のプレハブ施設の前に、新しい建物ができていた。
オシャレなカフェだった。
ここ雄勝の若手たちが作った場所で、今では町民や被災者巡りに来た人たちの拠点となっているようだった。
復興のために有名人を呼んだり、イベントを企画したり、若手の力でこの雄勝をどうにか盛り上げていこうとするエネルギーが、ここに小さく燃えていた。


お店の中にはピアノとギター、それにカホンが置いてあり、いつでもライブが出来るような設備があった。
たまにここでライブもやっているそうだ。
懐かしい顔ぶれが集まり、みんなでコーヒーを飲みながらいろんな話をした。
「海上保安庁が船で物資持ってきたときは海賊みたいに、それ置いてけー、って言ったよなぁ。」
「物資持ってきてくれんのはいいけんど、パン2千個持ってきてくれだどぎは困ったよなぁ。」
「ジャムマーガリンサンド美味しかったけんど、毎日はさすがにキツかったよなぁ。」
「とごろで、今度のゴールデンウイークのイベントで炊き出しはやるか?」
「ああ、熊谷さんがもうすぐくっがらぁー。」
みんな運良く生き残ったメンバー。
ヒデ君は役場の屋上にみんなで上がり、3階建ての屋上の手すり、ギリギリのところまで水が上がってきたがかろうじて飲まれずにすみ、生き残った。
しかし実家は津波に持っていかれ家がなくなったのだが、役場の人間として役所を離れることはできず、1ヶ月の間、24時間勤務を続け、寝る場所はトラックの荷台だったそうだ。
他のみんなも命からがら生き延び、津波後は死体を拾い集め、炊き出しや物資を配るような日々を送ったんだろう。
想像を絶する世界。そんな生易しいものではない。
この4年間、ここまで来るのにどんな辛い戦いをしてきたことか。
日が暮れて雄勝の入り江が暗闇に包まれても、カフェの中でみんなで話していた。
ボランティアの数や、世間の意識は復興か進むにつれドンドン薄れてきている。
そんな中、隣町の女川町は昨日町開きが行われたらしく、イベントにはモモクロが来て大賑わいだったみたい。
芸能人はあれからたくさん来たらしい。
しかし被災地に行ったという実績欲しさの思惑のある人もきっといるだろう。
被災地に来るのに、現地警察にSPを2人つけてくれ、なんて要望を出してきた大物歌手もいたそう。
これからも復興は続いていく。
小さな町は復興の濁流の中でどうもがいていくのか。
ヒデ君、みんな、俺も力になれることがあったらなんでもするから。
