2015年3月21日(土曜日)
【宮城県】 石巻市
ゆうべ路上で出会い、一緒に飲みに行き、それから家に泊めてくれたお兄さんは消防士さんだった。
もちろん、俺が何者かなんて彼は全然知らない。
ただ宮崎からヒッチハイクして登ってきた流れも者。
ブログが絡んでいないこうしたゼロからの濃い出会いって久しぶりだった気がする。
1階からお母さんの声がする。
「ご飯よー!」

うごおお…………なんて素晴らしい朝ごはんなんだ…………美味すぎる…………
「あの人誰なの……?」
「ああ、友達だぁ。」
「仕事一緒にしてるの?」
「いや、昨日会った。」
「き、昨日ぉ!?」
「ヒッチハイクで日本放浪しでんだぁ。」
「ヒ、ヒッチハイクで放浪ぉ!!」
お母さんが向こうでめちゃ驚いてるっていうか、どう説明しても不審者にしかなれない。
「あ、ど、どうも、お邪魔しています………なんかすみません…………」
「あ、あらぁー!いらっしゃい、い、いいんですよぉー、ゆっくりしてくださいねぇー!」
そりゃびっくりするわな…………
手癖の悪いドロボー野郎かもしれないって疑いはどっかにあるだろうし。
「ううう………ゆうべいぎなり酒飲みすぎだー………風呂でも入り行ぐっぺー………」
二日酔いで死にそうになってるケイさんと一緒に家を出て銭湯へと向かった。
その途中で石巻の町を一望できる日和山に寄ってくれたケイさん。
駐車場に車を止めて寝巻きのまま2人で歩道を歩いた。
山の上には無数の桜の木が生えており、もう少ししたらこの山は一面のピンクに埋め尽くされるんたろうな。
しかし今はまだ桜は寂しげな裸のまま。
そして見渡す石巻の町もまた、枯れ枝のように何にもなくなっていた。



震災の時、みんなこの山に避難し、ここから濁流に飲まれる自分の町を見下ろしていたそう。
石巻には震災前から来ているのでこの海沿いが住宅地だったことは覚えている。
こんなにも何もなくなってしまうなんてな………
前回来た時はここが瓦礫の山でこの世の終わりみたいなことになっていたが、あれから3年経ってもうほとんどが片付けられ、空き地には雑草が生えている。
まるで何もなかったかのように、地面は静かに黙っている。
ここまでくるだけでもどれほどの苦労があったのか。
消防士さんであるケイさんがいろいろ話してくれる。
「津波来でがら、屋根の上に逃げてる人さボートで助けに行ぐんだぁ。雪降っでだがらよぉ、しかも服も濡れてるがら、寒さで死ぬ人もいだんだぁ。だがら弱ってる人がら優先して助けねばなんねーんだげんど、オッさんとかが、消防コラァ早く助けねかぁ!!とか言ってぐんの。もう頭来るからさぁ、おめさまだ喋れんだっこな黙って座ってれー!!って怒鳴りあったりしだよお。」
笑いながら話してくれるけど、あの時はシャレにならん状況のど真ん中で被災に立ち向かっていたんだよな…………

「ここの山の斜面のとごに瓦礫が押し寄せて固まっで、車のガソリンに引火して火の海さ。水の上で燃えるっけ水かけても消えねんだ。それでも水弾いでだっけ、地元のおばちゃんがどこでどうやって沸かしたか知んねぇけど、あったけぇコーヒー沸かして持ってきてくれだんだあ。まだ自分たちの水を確保するのも難しいとぎに、コーヒー持っできでくれだんだぁ。それが一番うめがっだぁ。」
スーパー銭湯の露天風呂に入りながら他にも色んな話をした。
津波の時の苦労はもちろんだが、ひとまずある程度落ち着いた今は、また事後処理の問題がいろいろと出てきているよう。
例えば家が全壊して、その立て直しのお金を国からもらい、県からもらい、市からもらい、保険屋からもらい、金は充分持ってるのに仮設住居を出ないという状況。
仮設はもちろん無料だ。
仮設にいるから貧しくないといけないってわけではもちろんないが、仮設の前にレクサスが止まってる様子は不思議なもんだそう。
県内に無数に作られたこの仮設も、いずれは解体する方向にあるという。
何かの宿泊施設に再利用できるんじゃないか?と思うけど、そうなると国とのお金のやりとりが発生してくるらしい。
国と地方自治体の温度差があれば、その間で翻弄される被災者たちもいる。
そこを上手くついてお金を引き出しているズル賢い人たちもいる。
復興を願う心は誰もが一緒だ。
でも人間が絡む限り平等にはいかないよな。
みんな不器用で、見栄っ張りで、自己中心で、寂しがりなんだもんな。

昼間っから近所のおばちゃんがやってるスナックに行き、カラオケ大会が始まった。
勝手にカウンターに入ってジュースとったり、ママもカーラー髪に巻いたまま買い出しに行ったりして、まるで自分の家みたいだ。
同級生が集まってきて、みんなでカラオケが盛り上がっていく。
地元のスナック、近所の同級生、顔見知りのおじさん、
みんな年齢関係なく、とても仲良しだ。
地元ってやっぱりいいよな。




夕方から駅前に向かい、廃墟と空き地だらけの町の中を歩いて飲み屋街にやってきた。
土曜日の夜なのでかなりの人出になるだろうと思って張り切っていたのだが、なにやら多くのお店が閉まっている。
歩いている人も少ない。
しかも県外から来ている建設作業員のおじさんばかりだ。
どうしたことだ?と思ったら、そうか、今日はお彼岸だった。
みんな家で家族と過ごしているんだな。
飲み歩いているのは出張でやってきている、関西や関東からの業者さんだ。
関西弁を大声で喋りながら肩で風を切って歩いている。
こうした県外からの業者と地元業者とのいがみ合いも、かなり問題になっているそう。

石焼きイモのおじさんに熱々のお芋をもらって、手を温めながらゆっくり歌った。
県外の業者は、宮崎から来てる?!俺たちも九州から来てるからビビらねぇし!!とか言って歌を聞いて行ってくれない。
地元の人は町を盛り上げてくれてありがとう!!とチャラい若者までが千円を置いていってくれる。
昨日缶コーヒーを差し入れしてくれた客引きのお兄さんが、またジョージアを買ってきてくれた。
みんなみんな、震災なんてなかったかのように、元気で、楽しそうな笑顔で、お酒を飲んでいる。
もとどおりにはならない。
忘れてもいけない。
でも、ふさがりかけた傷を引っ掻いてもいけない。
デリケートな問題だからこそ、俺はいつものように歌っていきたいな。
