2015年3月20日(金曜日)
【宮城県】 仙台市 ~ 石巻市

1ミリもわがんね。
やっぱり東北の人はわかるんですか?
おりはまこついっちゃんわかりゃせん。
べらくり。
宮崎の田舎の爺ちゃん婆ちゃんの言葉はギリわかります。
さて、お世話になりまくった阿部さん宅を出発して向かうのはここから海沿いに走ったところにある石巻市。
阿部さん奥さんが被災地を見せてあげながら送って行ってあげるということで、お言葉に甘えて乗せて行ってもらうことに。
阿部さん旦那さん、貴重なお話と美味しいお酒をありがとうございました。
暖かい笑顔、本当に嬉しかったです。
ユウト君、ハルト君、すずちゃん、リク君、みんな元気でね!!
また会いに来るから遊んでね!!


仙台市内には美味しいラーメンはない、と断言する人が多いけど、その中でも一応人気があるフールーシンというラーメン屋さんへ。
煮干し、ちぢれ、つるつるワンタン。
普通。
日本三景、松島を走り抜け、ズンダのソフトクリームなんかを食べつつ車を走らせていく。
海沿いに広がるのは空き地の風景。
しかしかつてここに民家や建物があったというのはすぐにわかる。
震災後に来た時のような瓦礫の山はもうなくなっているが、放置された雑草が寂しげに風にそよいでいた。


石巻の市内に入ると、それこそ海沿いの地域は完全な更地になっていた。
何もない雑草の平地にポツポツと民家が残っている。
しかしよく見ればそれらの取り残された民家は窓が割れ、軒が破壊された、当時の姿をとどめている。
きっと所有者の問題なんかで取り壊すこともできないままで放置されているんだろう。
「ほら、あそこの橋、鯉のぼりがあるでしょ?弟を亡くしたお兄さんが、弟が好きだった青の鯉のぼりを飾っていたら、みんなが飾るようになったんだって。」
まだ所々にユンボなんかの重機が作業をしている更地の中を走りながら阿部さん奥さんが教えてくれる。



きっとそうした話はいくらでもあるんだろう。
美談、悲話だけが強調されるけど、その裏の汚い話もいっぱいあるんだと思う。
でも、そんなの聞きたくないけど。
せめて美談で優しい気持ちでいたいよな。


大川小学校は夕日に照らされていた。
破壊され尽くした瓦礫の廃墟が、里山と川に挟まれた更地に影をのばしている。
小学校児童74人、教職員10人、そして全体で428人の人がなくなったこの大川地区。
311津波の悲惨さの象徴のような場所。


地震直後、先生たちは子供たちを校舎から出し、校庭に整列させた。
まぁよくやる避難訓練の状況。
しかし何も情報は入らなかったのだろうか。
津波が来ているという情報は。
子供たちの中には、山に逃げようと先生に訴える子もいたという。
しかし先生たちが興奮している小学生の言葉に耳を貸さないのは当然だ。
何がしたかったのか真相は明らかになっていないが、先生は子供たちを30分も校庭に待機させ、そしてそのまま襲いかかってきた津波に飲まれた。
校舎のすぐ横には山の斜面が広がっている。
津波を目視してからでも山に駆け上がる時間はなかったのだろうか。
だとしたらどれほどのスピードで、津波は子供たちを飲み込んだのか。
想像すると、ふと身震いしてしまう。
怖かっただろうなぁ、悔しかっただろうなぁ。
破壊された校舎は時を止め、まるでモニュメントみたいに黙りこくっていた。




懐かしの石巻の飲み屋街に歌を響かせた。
前回来た時はまだ瓦礫の積まれたお店やシャッターの降りたビルが多かったが、この中心部はもうある程度再建してお店も出揃っているようだ。
金曜日の夜、人出も多い。
みな楽しそうに酔っ払って大声出して歩いている。
「ぬお!いぎなりすげくねが!長渕やっでげれ!!」
「ニイちゃん!!宮崎がらぎでんだっぺが!?長渕やっでげれ!!」
「シャバドゥビ、ダッチャダッチャ、マチュピチュ、長渕!!(聞き取り不可能)」
石巻の人、長渕好きすぎ。
そしてお金が信じられんくらいの勢いで入っていく。
誰もが足を止め、歌を聴いてくれ、千円札を置いていってくれる。
この被災でとんでもないことになっている石巻で金を稼ぐことにほんの少しの違和感はある。
でもそれを吹き飛ばすようなことを地元の人たちは言ってくれる。
「石巻の復興のために元気づけてくれでありがとな!!」
こうなったら気合いが入らないわけがない。
思いっきり気持ちを込めて歌うと、たくさんの人が話しかけてきてくれた。
客引きのお兄さんが暖かい缶コーヒーを持ってきてくれた。
怖そうなオジさんがニッコリ笑って5千円を置いてくれた。
言葉遣いの悪いスナックのヤンキーギャルが、「ちょっとあんたら頑張ってる人応援しであげねばなんねぇっちゃ!!」とか言ってチャラい男の子を引き止めてお金を入れるよう催促してくれる。
冷たい風で指がかじかむけれど、そんなこと忘れるくらいに楽しい。


歌を聞いてくれていたケイさん、今野さんと仲良くなり、3人で飲みに行った。
宮城といえばレゲエパンチ。ピーチリキュールにウーロン茶のカクテル。
「お兄さんはどごよ?」
「おらほは飯野川だべしたー。」
「おー、したらタカシ知ってねが?オラと同級なんだぁ。」
お店の中で隣同士に座った人たちでそんなローカルな会話が始まる。
「ああー、あそごなら大変だっだだべー?」
「うちほは親戚7人流されだー。」
「そうがいー。あそごの同級生も死んじまっだなぁ。」
二言目にそんな話が始まってしまうと、やはり迂闊な言葉が発せられなくて相槌すらはばかられてしまう。
このあたりに被害のなかった人なんていない。
みんな繋がっていて、みんな誰かを亡くしている。
でも今はこうして楽しくお酒を飲んで笑っている。
それがすごくホッとする。
みんなが楽しそうにしていることが同じ日本人としてホッとする。
自分が大した支援をしなかったことへの後ろめたさをごまかすように。
無責任な安堵だ。
この夜はケイさんの家にお泊まりさせてもらえることになり、お言葉に甘えてタクシーに乗った。
ケイさんの部屋の中、朝4時まで語り明かし、疲れてソファーに横になったらすぐに眠りに落ちてしまった。