2015年3月28日(土曜日)
【青森県】 三沢市
足音で目を覚ました。
ザッ、ザッ、ザッ、
枯葉を踏む音がこっちに近づいてくる。
もう寝袋の外は明るい。
ということは朝の公園の散歩の人のはず。
外国の時みたいに緊張して体がこわばることもない。
うとうとしながら早くそのまま通りすぎてくれー、と思っていたら、声が聞こえた。
「お、今日もいるな。」
そしてそのまま近づいてきて、真横のベンチに座ってしまった。
仕方なく体を起こして寝袋から上半身を出す。
お爺ちゃんがニコニコしながら俺を見ていた。
「おはようございます。」
「おはようー、よく眠れたがい?」
「はい、暖かくなったので。」
「いやー、ワシは毎日朝と夕方に散歩しでるんだけど、昨日夕方に来たらいなくなってたがらもう離れたのかと思ったわー。」
「あー、日中は行動してますからねー。」
「そうがいそうがい、いやー、昨日の夕方に来たらいないもんだがら、ワシはてっきり移動したのがと思ってのぉ。」
「ああ、夜は町に歌いに行ってるんですよー。」
「ほー、ギターでねー。本当にのぉ、昨日の夕方にいなかったら離れてしまったんじゃと思…………」
寝起きで何度も同じことばかり言う爺さんの相手はなかなかイラっときます。
あれですね、こういう時に寝袋から出てきたやつがヒゲ伸びまくりの髪の毛ボサボサの汚ったないやつだったら浮浪者になりますけど、綺麗な格好で爽やかに出てきたら、ああ、キャンプしながら旅してる人なんだなってなりますね。
見た目は大事です。
僕のCDのタイトル、ホームレスって言うんですけどね。

へばのー、と言って帰っていった爺さんを見送って寝袋をたたみ、今日も公園の林の中に大きな荷物を隠して出発。
昨日の暴風は若干落ち着いており、太陽の暖かい日差しでダウンジャケットの前をはだけて歩いた。

お気に入りの小笠原食堂でご飯を食べ、図書館に行って、今日も読書。
バッグから取り出したのはジャックケルアックのオンザロード。邦題は路上。
60~70年代のヒッピーカルチャーに大きな影響を与えた、バッグパッカーのバイブルみたいな本だ。
存在は知っていたんだけど、ずっと手をつけずにいたこの本。
いつか誰かにこの本をもらったことがあったけど、読まないまま今も本棚にささっている。
先日、会津若松で知り合ったバーのマスターが、「まぁもうアメリカを旅したやつにあげてもしょうがないんだけどね。」と言ってくれたのだ。
手元にやってきてのが2回目ともなると、さすがに読まないわけにもいかない。
昔から、旅に憧れ続けてきたけれど、その手の本を読むことはまったくなかった。
僕の中で遥かな旅路を想像させてくれたのは、いつもボブディランやトムウェイツなどのホーボーソング、そして西部劇に出てくる孤独なウェスタンヒーローであり、海外の映画の中で描かれるごく日常的な日本以外の国の生活風景だった。
わざわざガイドブック的な本を読む気などさらさらなかった。
求めていたのは孤独で、気高く、美しい荒野。
飾らないどこにでもある家族や恋人のやりとり。
そんなものを見たかった。
だからテレビ番組の世界まる見えは結構好きだったな。
日本のバッグパッカーのバイブルである深夜特急の存在も、世界一周に出発して数ヶ月してからブログランキングに登録して知った。
海外で知り合う旅人たちは、深夜特急や行かずに死ねるかとかガンジス川でバタフライなどの紀行本をみんな読んでいた。
そうやって旅への思いを膨らましていたんだろうな。
高橋歩に関してはいつも、信者か、もしくはライバル視してる人のどっちか。
心酔してる心弱そうな大学生、へっ、高橋歩なんて全然大したことないし、という旅好き。
良くも悪くも影響力があるってことだよな。
俺の本ももうすぐ出版される。
色んな人に読んでもらえる本になればいいな。
オンザロードはあまりにも良質な睡眠薬で、ウトウトしながら読んでいたのでほぼ内容覚えていない。
当時の若者たちは、社会への不満とか、未来への不安とか、そんなものさておいて、とにかくオンザロード、路上に出てあてもないホーボーをすることが夢だったのかもしれない。
西部の荒野を目指してトラックをヒッチし、貨物列車に飛び乗って見果てぬ地を目指していた若者たちが今のアメリカの爺ちゃん婆ちゃんか。
時代は変わって、インターネットの情報社会になっても、やはりバッグパッカーはたくさんいる。
旅をしたいという根源的な欲求は誰しも持ってるものなのかな。
路上には全てがある。
三沢の大衆浴場、岡三沢温泉は300円という値段で温泉に入ることができる。
レバーを奥に押すと水とお湯が勢いよく出てくるという昔ながらの銭湯スタイルの洗い場で体を流し、ヒゲを剃って、下着をかえ、20円でドライヤーをかけたらもう完璧。
うっしゃー、めちゃくちゃモテまくって、中学校の先生たちの送別会グループに気に入られて、酔っ払った真面目そうな社会の先生の首筋にキスしてやる!!!

超気合い入れて飲み屋街に到着。
昨日ほどの人出ではないが、それでもかなりの混雑で大賑わいのネオン街。
昨日みたいな風はなく、これなら歌いまくりだ。
よおおおおおおおおし!!!!
社会の先生えええええ!!!!!
僕の社会の窓を開けてくださいいいいいい!!!!
「あ、もしかして歌ってる人?」
ギターを取り出して演奏前のタバコを一服してるところに、知らないおじさんが話しかけてきた。
なんだ?まだ演奏してもいないのに。
「いや、実はねー、昨日ここで歌ってる人がいたよって噂が入ってきてね。仲間連中から見に行ってくれって言われて見に来たんだよー。」
なるほど。しかしたかが路上シンガーなんて別に珍しくもないだろうに、三沢ではそんな噂になんてなるのか?
だが、どうやら事情が違った。
この話の続きがあった。
「三沢にはさ、ホラ、あそこの角に自動販売機あるでしょ?あそこの前で毎週金曜日の夜にギターの弾き語りやってるタカノリさんって人がいてね。39歳の。この辺りの路上では有名な人なんだけどね。」
なるほど。ということは仲間連中が、ショバを荒らしてる俺の偵察に来たってわけか。
「あ、そうなんですか?じゃあ場所がかぶってしまって迷惑になってますか?」
「いや、彼はこの前死んだんだ。」
驚いた。
どういうことか話しを聞いてみた。
「彼と出会ったのは1年半ほど前でね。真冬の中で歌ってたんだ。青森の真冬だからね、凄まじく寒いんだよ。それでもいつも夜中の2時、3時まで、人が完全にいなくなるまで歌ってたんだ。俺はその姿見てなんだか刺激されてね、カメラマンやってるから、彼のことを撮り始めたんだ。」
タカノリさんの歌は上手いとか下手とかではなく、人を惹きつける不思議な魅力があったんだそう。
「本当、野良犬みたいな人でね。それがすごくカッコよかったんだよな。そんでさ、先月、八戸の路上で、歌ってる時に心臓発作で倒れて死んだんだ。」
愕然とする。
しがない路上シンガーが、路上でギターを抱えて心臓発作で死んだなんて。
他人ごとじゃない。
ロックな死に方、なんて言葉、とても言えない。
まじか………
「不思議だよなぁ。今日でちょうど1ヶ月なんだよ。タカノリさんが死んで。だからもしかしたら誰かタカノリさんの知り合いが追悼の意味を込めて路上をやりに来てるんじゃないか?って、タカノリさんの仲間たちで噂が飛び交ってさ、俺が確認に来たわけなんだ。もし、良かったら、お兄さんの歌ってるとこ、写真撮っていいかな。」
「もちろんOKです。」
若干戸惑いながらも、そんな話を聞いたら生半可な歌は歌えない。
思いっきり声を張った。
1曲目のハートオブゴールドを歌い終わると、通行人から早速お金が入った。
よし、この調子で行くぞと思っていると、なにやらキヨシさんがカメラを構えて目頭をおさえていた。
「あー、もうなんなんだろなぁ。タカノリさんも、その曲やってたんだよ………タカノリさん、喜んでるよ………」
そこから歌う僕を、キヨシさんは大きなカメラで撮り続けた。
歌の合間に話したところ、タカノリさんがなくなってからショックでずっとカメラを取ることが出来なかったんだそう。
町の人からも、あいつがいなくなったからお前も撮るものがなくなっちまったな、なんてことを言われていたらしい。
彼のことを追悼するために、生前撮りためた写真を使って、タカノリさんがいつも歌っていた自動販売機の前にパネル展示もしたそう。
寄せ書きのようなものを地面に置き、彼の歌を聞いたことのある人たちが手を合わせに来てくれたらしい。
しかし多くの人がただ通り過ぎるだけで、中には寄せ書きを踏んづけて歩く人もいたそう。
名もなき路上シンガー。
その彼が死んだ。
別に町にとって大事件にもならないこと。
いつも通りの日々が続くだけ。
でも、とてもじゃないけど、他人ごとには思えなかった。
「いやー、今日はありがとう。仲間連中もみんな喜ぶよ。報告してくるね。」

路上を終え、お世話になった近所のスナックに挨拶をし、キヨシさんと別れて町を背に歩いた。
路上シンガーが路上で死ぬ。
カッコいいようで、全然シャレにもならない。
その儚さとか、惨めさとか、ひたむきさとか、正直、同情も特にわいてはこない。
でも、1人の人間が、歌と生き様を貫いて、死を悲しんでくれている仲間を作ったということには感動せずにはいられない。
色んな人間がいるなぁってのは路上に出なければわからない。
オンザロードは何十年も昔の話。
でも今も路上でしか生きられないホーボーたちの歌はストリートに響いてる。