知らない小さな町の駅前は、錆びた鉄の匂いがする。
夕日と憧れ。
車の通らない道を、茶髪の女の子が2人で自転車をこいでいる。
黄色い点字ブロックの上を歩く。
秋風スルリと脇の下を吹く。
忘れてしまうのは誰のせいでもない。
夕日にとける、錆びた鉄の匂い。
羽犬塚という福岡の小さな町は、久留米と柳川の間あたりにある目立たない駅。
確かここにはまだ来ていなかったと思う。
飲み屋街もないし。
ブログの読者さんで、かなり前からコメントを下さっていた女性の方から、この羽犬塚で催されるミュージカル舞台に招待していただいたのが1週間ほど前。
ちょうど東京へ向かうタイミングだったこともあり、ありがたく拝観させていただくことになったわけだけど、
まぁ、ミュージカル舞台なんて普通に生きていたらなかなかお目にかかれない。
特に宮崎なんて田舎ではそういった公演は無縁のもの。
ていうと、語弊があるよな。
本当はきっとアンテナを張っていればちょいちょいやってるものなのかもしれない。
文化センターとか市民ホールとか、そんなとこで。
でも今の所俺の人生でミュージカル舞台に足を運ぶようなセンスはなかった。
ふーん、くらいのもんで。
前回舞台ものを見たのはベルギーのブリュッセル。
大島さんというヨーロッパでバリバリ活動している気鋭の演出家さんが手がける前衛的なコンテンポラリーダンス。
はっきりいって凡人の俺には理解不能な奇妙な空間だったけども、感覚がビンビンに刺激されたの間違いなく、ヨーロッパってのはこうした芸術の熟成度において日本とは比べ物にならない位置にあるんだなと感じたもんだ。
んで、今日。
田舎の駅裏なんかによくある、デカいコミュニティーホールでの催しにはたくさんの市民たちが集まっていた。
みんな、
アラー!!なになにさん~!!元気にしとらした~!?
息子さんはどこの大学に行きんしゃったとね!!
なんていうなごやかな会話が飛び交う中に混じって会場に入る。
結果、ずっと号泣。
なんなのもう。
だめだもう。
世界一周して変わったこと。
涙もろくなった。
かつて柳川藩と久留米藩を隔てる川は、大雨が降るたびに堤が決壊して、両藩甚大な被害を受けていたそう。
今回の劇はその当時の実話をもとにした物語だそう。
被害が続いていた両藩だったが、そんな中柳川藩ではある優秀な技術者が堅固な堤を築いたことで、川の氾濫に耐えられるようになる。
柳川藩の農民は水害に怯えることなく暮らせるようになった。
しかし対岸の久留米藩のほうはというと、相変わらず大雨のたびに堤が崩れて多数の死者を出すような状況。
堤の責任者は毎回被害が出るたびに切腹をしてきた。
父、兄をそうした切腹で失ってきた久留米藩士の右近は、どうしても壊れない堤を作るために柳川藩の壊れない堤の秘密を探りに行く。
しかしそこを柳川の堤の責任者であるトウゾウに見つかって斬り合いになる。
農民のためになんとか壊れない堤の仕組みを知りたいんだ!!という右近の情熱を感じたトウゾウ。
実際に堤を作った技術者である父に久留米藩にも同じ堤を作ってやろうと頭を下げる。
しかし父親は根っからの侍で、隣の藩のことなど知らんと教えてくれない。
父だけでなく柳川の人間はみんな久留米なんてほっとけ!!と言うし、久留米は久留米で柳川の力なんか借りるか!!といつもいがみ合っている。
トウゾウはそれがバカらしくて、なんとか久留米側にも水害のない堤を作ってやれないかと1人奔走する。
しかし父親はいくら頼んでも堤の秘密を教えてくれないので、トウゾウはついに堤の設計図を盗み出し、そして久留米藩の右近に渡す。
これが知れたら切腹。
しかし2人とも命を投げ打ってでも人々を救おうとする。
2人の藩を超えた情熱に打たれた村人たちも、ついには一丸となって久留米に堤を築く………
簡単に言ったらこんな内容なんだけど、もう始まってすぐの序章のところで号泣。
氾濫した川にのまれた仲間を助けるために制止を振り切って飛び込む村人。
「仲間が溺れてるのにほっとけるかーーー!!!」
もう号泣(´Д` )オーン!!
「お父上!!藩は違えど命は命でしょう!!目の前の苦しんでる者を助けないでなにが侍ですか!!」
号泣(´Д` )ぎゃーん!!
「トウゾウ様!!やはりあなたはお1人で川に身を捧げるおつもりだったのですね!!ああ!トウゾウ様!!私もお供いたします!!」
号泣(´Д` )ワオーン!!!!
もう会場中、鼻水すする音があちこちから聞こえてました。
おばちゃんもおじちゃんもギャルもとっぽい男の子も、みんな涙をぬぐってた。
今回の劇は筑後市市政10周年ということで催されたものらしく、10年前にも同じものを上演したそう。
市民の方々にとっては思い入れの深い劇なんだろうな。
世界中を回ってきて、こうした領地争いのイザコザは腐るほど見てきたし、平和を訴える言葉も腐るほど見てきた。なんとも空々しいものだった。
しかし今、この羽犬塚という田舎の市民ホールで見る劇のメッセージの強さったらなかった。
世界を変ようなんて大げさな題材のものではなく、目の前のことなんだよな。
すごくいい話だった。
昔の俺なら、途中で寝てたかもしれん。
アホだったから。
でも、世界を回って、たくさんの人と会い、人々の暮らしを見て、人間は一緒なんだということを学んだ今、人間が愛しく思えて仕方ない。
ほんの小さなことにさえ、涙が出るほど心が揺さぶられる。
人を知るということは、人生を豊かにしてくれる。
物の見え方が変わる。
ミュージカル舞台に号泣できる男になれてすごく嬉しかった。
なんと驚いたことに役者さんはみんな素人だった。
どう見てもプロにしか見えない演技は迫真とはまさにこのことというレベルで、きっと劇団として公演してるんだろうなと思っていた。
実は全員、筑後市民の方々。
消防士さん、看護師さん、学校の先生、そういった方々の、いわば寄せ集め。
舞台照明も素晴らしかったし、小道具の配置もまさにプロ。
特筆するべきは音楽。
舞台の前に楽隊がおり、すべて生音で劇を盛り上げ、転換し、感情をコントロールしていく。
生音でここまで出来るのかというレベル。
舞台の役者さんとの息もバッチリ合っており、これこそミュージカルの命だと思った。
アメリカを回っていた時、ニューヨークにいてブロードウェイミュージカルを見なかったという犯罪を犯したけれど、きっとキャッツとかこういう感じなんだろうな。
この素晴らしすぎる劇を手がけたのが、斎藤先生と上田先生。
久留米の大学の演劇科で講師をしているこのお2人。
業界の人ならきっと誰もが知ってるような大先生たち。
演劇界の第一人者として活躍しているような2人がどうしてこんな田舎にいるのかと思ってしまうが、とにかくこの2人が中心となって2年もの月日をかけて市民たちを指導してこの劇を作り上げたみたいだ。
劇中の音楽を作曲し、見事な指揮で舞台をまとめ上げた上田先生が、今回俺を招いてくれた人だったわけだ。
まさかこんなすごい人だったなんて。
もっとただの普通のおばちゃんで、今回の舞台も市民の人たちがワイワイやる程度のもので、上田さんもピアノが上手なおばちゃんくらいに思ってたのが大間違い。
俺はよくわからんけど、野田秀樹とか、つかこうへいとか、そんな現代のビッグネームがバリバリやってたころから上田さんは演劇に打ち込んでいたんだそうな。
天井桟敷くらいはかろうじて知ってるけど、昔はそうしたアングラの小劇団が広場にテントをたててバリバリ公演をかましてたらしい。
いつもテントに入りきれないほどのお客さんで溢れるほど、昔は演劇、そして文化・芸術が活き活きと躍動していたみたい。
ロック音楽も60~70年代で頂点に達したようなもんだしな。
この日は公演を終えてお疲れの上田さんのお宅に泊めていただいた。
まぁ目が開かれるようだった。
旅が終わって宮崎でボンヤリしていたけど、日本だってこんなに文化的なものに溢れてるんだよな。
歌舞伎にしろ、アートフェスにしろ、実は生活を豊かにしてくれるものは身の回りにたくさん存在している。
外に出て刺激に触れるのは時に億劫だけど、もっと自然体でこうした芸術に接していけるようになったら、どれだけ豊かな人生が送れることだろう。
人っていいなぁって思いました。
上田さん、今回は素晴らしい舞台に招いていただいて本当にありがとうございました。
今度コーヒー20杯ご馳走させてくださいね!
あ、上田さんが言っていた印象的な言葉を最後に。
「同じことを言っても人によってまったく違う。そこが勝負。」
まさに歌にもいえることだと思いました。